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2011/08/09

あっという間の3週間



今から、アメリカに戻ります。息子は、キャンプの間中、ほとんど眠らずにしゃべり続けた結果、声が出なくなり、昨日の午後から、今日の昼近くまで爆睡していました。

今回は、20年ぶりのお友達に2人も会えてうれしかったです。

私は、家族や友達に守ってもらって、支えられて、今まで生かされてきたのだなあ、つくづく感謝しました。


今回、親友に連れて行ってもらったオノヨーコさんのレクチャーで素晴らしいメッセージをいただきました。

1.どんなに小さなことでもいいから、自分のできる範囲で、平和のために何かアクションを起こそう。みんなが小石を投げれば、それが波となって、世の中を変えることができる。無理して、岩を担ごうなどと考えなくていい。

2.世界平和などという、大きなスケールで考えずに、自分のすぐ隣にいる人に対して親切にすること。自分の住むその場所で、人にナイスにすることが、世界平和につながっていく。

わたしも、自分の身の丈にあった親切を心がけたいと思いました。

行く先々、住む先々で、いつもみなさんが大変親切にしてくださるので、同じ量を同じ方にお返しすることはできません。でも自分のできる範囲で、自分の住む場所で、無理をせず、少しずつお返ししていきたいと思います。

サンディエゴのお友達のみなさん、もし私が意地悪だったら、「ブログのあの立派な決意はどーなったんだ?」と注意してやってください。

元気でよかった!


夕べは、19年ぶりに大学院時代の先輩に会いました。最後に彼女に会ったのは、彼女が東海岸のアメリカの半導体の会社からオファーをもらって、空港に見送りに行った時でした。

頭の良い人のことを「カミソリ」のように切れるという表現をしますが、彼女は、「出刃包丁」のように切れます。そして 「姐御」 という表現がぴったりの人です。

昨日も、開口一番 「うわ~ お互いケバい、アメリカ帰りのおばちゃんになっちゃって!!」というコメントで、出刃包丁ぶりは健在でした。

姐御の経歴は、聞いてびっくりです。日本の大学卒業後、大学生が就職したい企業ランキング1位の会社に就職し、とんとん拍子に出世し、アメリカ企業でキャリアを積み、その間、企業派遣、私費留学で、大学院、エグゼクティブコース、大学の夜学などでも学び続け、アメリカの弁理士のライセンスも持ち、現在は、日米両方で特許のビジネスコンサルタントとして活躍しています。

これだけ聞くと、すごくスムーズなキャリアなのですが、舞台裏は壮絶なバトルの連続でした。本当に辛かったはずです。(話を聞く私も、すごく苦しかったです。)

でも姐御は、どんなピンチの時でも、あきらめず、Aのドアが閉じられたら、Bのドアを探し、それがだめだったら、Cのドアを蹴破ってでも、次のチャンスを掴み取ろうと努力してきました。既成のドアがなくなったら、自分で木を買ってきて、ペンキを塗って、勝手に梅だの松だのといった新手のドアだって作る人です。

アメリカ企業で日本人が生き抜いていく大変さを、私は彼女を通して学びました。そして、若い時から、次の数十年を見据えて戦略を練り上げる重要性を教えられました。

彼女が一緒に仕事をしている、ニューヨークの特許弁護士たちの活躍ぶりの話を聞いて、私までキャリア戦略耳年増になったほどです。

姉御は、息子が生まれた時から、口を酸っぱくして、「キャリア戦略」を説いて聞かせてくれました。残念なことに、我が家では、そのありがたいアドバイスを生かせていません。(とほほ~)豚に真珠ってやつです。

道なき道を、自分でゲットしたカマと斧でたった一人で、切り拓く彼女を見て、私はいつも感動していました。

病気にも負けず、孤軍奮闘している姐御は、かっこよかったです。

今は、すっかり健康を取り戻し、日本を元気にする仕事で活躍していて、本当にうれしかったです。

姐御、いつまでも元気で、長生きして、みんなを助けてね。



2011/08/07

See you again !

広島銘菓 もみじ饅頭
今は、カスタード、チョコレート、クリームチーズ味などもあります。
私は、オリジナルのこしあんが一番好きです。



今日、私は広島を発ち、明日韓国から帰る息子を成田でピックアップして、成田のホテルで一泊してから、サンディエゴに帰ります。

成田に向かう前に、お友達と食事をする約束をしています。彼女の話を書くと、一冊の本が完成してしまうくらいなので、今度時間があるときに、シェアしますね。私が彼女につけたあだ名は、「キャリア戦略姐さん」です。私たちの子供たちにとって、とても参考になる情報満載の人です。

みなさんに良くしていただいて、とても楽しい広島での3週間でした。本当に、ありがとうございました。又、帰ってきます。それまで、どうぞ、お元気で!


がんばろう日本、がんばろう東北!!

秋田かんとう祭り

一昨日遅く、秋田から広島に戻ってきました。

実は、私はちょっとした珍しい病気を持っています。漢字で書いても、転換できなほどの難しい字 で、読み方は「しょうせきのうほうしょう」といいます。女優の奈美悦子さんと同じで、セレブ系の病です。(自慢)

感染するわけでもなく、美人薄命型の病でもなく(見ての通り)、治療して下さる先生が秋田県のアクセスしにくい町にしかいらっしゃらないのが、難点です。この病院に、世界中から患者が訪れます。

今は、症状は安定していますが、定期的に診察していただくようにしています。
この病気のお陰で、息子が小学生の頃から、年に一回は東北を旅行するチャンスに恵まれました。(転んでもタダでは起きないのが私の特徴です)

東北のお寺や農家などにホームステイさせていただいたので、私と息子にとっては東北が第2のふるさとのようです。

勤勉さ、人の温かさ、弱きもの、小さき者への惜しみない愛情を東北の方たちから学びました。

東北は、日本の美点を凝縮した所です。今の時代だからこそ、私たちは東北の方たちから多くを学べるはずです。

東北は、農業だけでなく、工業、観光、ハイテク、日本の産業も担っています。

だから、みんなで力を合わせて、復興に協力していきたいと思います。東北が元気になることで、日本全体も力をつけていけると思います。

がんばろう日本、がんばろう東北!!GO, GO 聖光学院!!!!

2011/08/06

広島 8.06






 鉄谷信男さんの 長男(ちょうなん伸一しんいちちゃん(当時3さい11か月)は、東白島町の自宅じたく前で、三輪車に乗って遊んでいるときに被爆ひばくしました。全身に火傷やけどを負い、「水、水……」とうめきながらその夜死亡しぼうしました。
翌日よくじつ自宅焼け跡やけあとで長女路子みちこちゃん(当時7歳)、次女洋子ちゃん(当時1歳)の遺骨いこつを見つけた信男さんは、伸一ちゃんの遺体を焼く気になれず、一緒いっしょに遊んでいて死んだ近所の女の子と手をつながせ、焼けげた三輪車と共に庭に埋葬まいそうしました。
その後、被爆40年目に墓所ぼしょに移す決心をしてり起こし、葬式そうしきをしました。

       (広島平和記念資料館の展示より)


今日は、広島の原爆記念日です。66年間、私たちは、もう二度とこのような悲劇を繰り返してはならないと願い続けてきました。

しかし、今年原発によって福島は第三の被爆地になりました。

敗戦直後から、広島に縁のある私たちは「核と人類は共存しない。」ともっと強くと訴え続けてくるべきでした。

そして、どうして広島と長崎には原爆を落とされたのか、侵略、加害の歴史をきちんと究明し、学び、次の世代に伝えるべきでした。

今年の原爆記念日は、私にとって新たなスタートとなりました。




2011/08/02

8月のぽーと会



8月も、ぽーと会関連のイベントが満載です。

8月13日 補習校での原田誠先生の大学進学講演会 (10時~17時)
(詳細・申込み:portkaisandiego@gmail.com)

8月14日 原田先生の無料個別相談会
申込み

8月21日 ぽーと会主催 平和セミナー
(講師のテニー博士のことは、6月1日から6月4日までのブログで書かせていただきました)
時間 1時~3時
場所 サンディエゴ日系キリスト教会
(申込み:portkaisandiego@gmail.com)

セミナーを通して、子供たちが、大学進学のことをきちんと考え、アメリカに住む日本人としてのアイデンティティを確認し、「将来自分がどのような道を歩んでゆくべきか」を見つめなおす、きっかけになればいいと思います。

7月の「大学アプリケーションのセミナー」は大変内容が濃かったそうです。出席者の子供たちは、エッセイを作成する中で、自分の学びたいこと、進むべき方向性が見えてきたそうです。
残念ながら、私は今年は参加できませんでしたが、来年の夏はぜひ子供と参加したいと思います。

2011/08/01

私のメンター (2)

ハマナス


彼女は私の親友であると同時に、有難いメンターでもあります。

何より彼女がすごいのは、一人一人をよく観察し、その人の良いところを見つけ、モーティベーションや才能を引き出してくれることです。

彼女は、私が仕事をしている時、主婦をしている時、いつも私に必要なアドバイスをくれていました。仕事とは程遠い生活をしている時も、「あなたは、いい仕事をする人だから、いつも心の準備をしていてね。」と叱咤激励してくれていました。

私がアメリカの通関士の国家試験にパスし、就職しようとした時も、「あなたらしくない仕事だわ。keikoちゃんの良さが発揮できないような気がする」と考え直すようにアドバイスしてくれました。


日本人でこのライセンスを持っている人がいないこと、サンディエゴ は国境の街なので、貿易、物流の仕事は絶えずあったので、着眼点としては間違っていませんでしたが、確かに私がしたい仕事ではありませんでした。「コンスタントに仕事がある、なおかつ女性にしては収入がいい。」ということに惹かれていただけでした。


数年間、数千ページにわたる貿易と関税に関する法令を隅から隅まで読んで勉強したことは、決して無駄ではありませんでした。難しい勉強ではあったけれど、後半は面白くて、すっかりはまってしまったくらいでした。でも、それを仕事として、起きている間の大半を、無味乾燥な文書に埋もれて私が過ごすのは、無理がありました。

親友は、私がたとえ通関士として働き始めても、仕事を楽しめないことを見抜いていました。

情熱を持ってライフワークとして取り組める仕事をするべきだということを、彼女から学びました。

「仕事をすることで、自分がハッピーになるだけではなく、みんなを元気づけることができる。ひいては、それが、世の中を明るくする」ことを、今は息子に対して教えてくれています。

というわけで、彼女は、我々親子にとってありがたいメンターなのです。