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2011/12/02

短期の一時帰国でも参加できる被災地への学生ボランティア
















11月のぽーと会は、東日本大震災の被災地で医療ボランティアとして活動された清泉貴志先生による報告会でした。

その時の参加費とみなさんに買っていただいたカードの売り上げ全てをを清泉先生たちの医療活動を支援されるいくつかの団体に寄付させていただくことができました。清泉先生がかなりマッチングしてくださり感謝でした。

報告会の最後に、参加者から「寄付以外にも、子供たちが一時帰国したときに参加できるような被災地でのボランティア活動はありませんか?」という質問が上がりました。

後日、先生が寄付してくださった団体の一つの日本財団さんに連絡を取ってくださり、学生ボランティアの引き受け窓口の方を紹介してくださいました。

日本の大学生がメインで活動されているようですが、活動内容によっては高校生でもOKだそうです。数日間だけの活動で、しかも東京発着なので、日本の交通機関に慣れていない海外育ちの子供たちでも大丈夫です。

直近では12月22日から26日が予定されていますが、来年以降も継続される予定だそうです。

ご紹介いただいたサイトを見せていただいて心を打つのは、学生さんたちの生き生きした表情です。ボランティア活動をする中で、お役に立てるだけでなく、人とつながることの大切さ、思いやること、計画を立てそれを遂行することなど多くのことを学べるようです。きっと一生の宝になることでしょう。


http://blog.canpan.info/gakuvo/












2011/11/06

清泉貴志先生の講演会

Secret Garden
By Yori


昨日、東日本大震災で、医療ボランティアとして活躍された清泉貴志先生の講演会がありました。

TV Japanで毎日何時間も地震関連のニュースを見ていたので、何でも知っている気になっていたのですが、実際に被災地に入られて、患者さんを診てこられた先生から生の声で実情を伺うことで、全く違う側面を見せていただくことができました。

なかでも、一番心に響いたのは、全てを失い避難所で生活されているおじいさんが、自分はずっと漁師として働いてきたので、一番鰹を買ってきて、さばいて、ボランティアの方にふるまったというお話です。

どんなに辛い時でも、周りの人への配慮、感謝を忘れないのは、日本人の美点だと先生はおっしゃっていました。

これからも、引き続き被災地への支援は必要です。離れて暮らす私たちができる、一番良い方法は、寄付です。「お金で解決するのは、心がこもっていないと考える人がいるかもしれませんが、そんなことはありませんよ。」と清泉先生もおっしゃっています。

継続的に、寄付を続けていきたいと思いました。

昨日は、参加費とYoriさんがドネートしてくださったカードの売り上げ全てを、先生の医療活動を支援してくださった団体に寄付させていただくことができました。ご協力ありがとうございました。

清泉先生、私たちのために貴重な経験談をシェアしてくださり、本当に感謝です!!!

2011/10/21

故郷の情景

Hope
by Yori

私は、初めてこの絵を見たとき、ショックを受けました。

なぜなら、見慣れた安芸の宮島を対岸から見る島の形にそっくりで、海の色も自分の記憶と一致していたからです。


サンディエゴのどこに行けば、この懐かしい風景が見られるのか、絵を描いた人に聞いてみたいと思いました。


実際にお会いして、伺ってみたところ、驚いたことに、彼女と私は同じ広島の出身でした。彼女が世界一美しいと信じ描いてきた島と海は、私のふるさとでした。

彼女の作品を色々見せていただき、その力強さに圧倒されました。

彼女の作品のテーマは、「希望」と「いのち」です。広島が原爆で焼け野原になり、何十年も草木も生えないと言われていた中で、見事に復興を果たしたパワーを描いています。

サンディエゴでも、灼熱の砂漠、谷間に咲く名もない花の美しさ、力強さを描き続けています。

彼女の絵を見ると、心の底まで掘り返されたような気分になります。

2011/10/19

広島の親友からの手紙


一昨日のブログに書いたように、8月の平和セミナーに参加してくださったおばあさんお二人が、ショックで体調を壊されて、実は私も2ヶ月落ち込んでいました。

私の活動をいつも見守ってくれている親友にはその顛末を話していて、彼女もおばあさんたちのことを気にかけてくれていました。彼女は、このイベントを企画運営した私が、最後まで責任を持って、このおばあさんたちをケアするよう、見守ってくれていました。

彼女は、決して手を抜かない仕事、関係者一人一人に配慮する人として、尊敬していますが、今回のことでもずいぶんアドバイスをもらいました。

夕べ、彼女からメールをもらいました。



恵子さま、
平和セミナーその後、読んでほっとしました。
そのお二人のおばあ様たちのこと、
体調を壊されたこと、とても心配していましたが、快復され、本当によかったですね。
その方たちにとって、今が乗り越える時期、必然だったのかもしれません。
戦争の狭間で、多くの人間の人生、家族、心身の健康
精神的に及ぼす苦悩など、影響を考慮すると
言葉になりません。
私は、(広島原爆)資料館へ多くの海外の方を案内する中で、毎回毎回どうしようもない思いをしてきました。
胸が張り裂けそうな気持を抱いていました。
また、多くの被爆者が、苦悩をかかえながらも証言をするひと
そして私の祖父母(被爆者ではありませんでしたが3つの
戦争を経験し、第二次大戦をのりこえて)のように、
戦争のことはふれず黙って逝く人の方が多かったのではないでしょうか。
地獄を見ているし、子供を育て、生き抜くのに必死だったと思います。
あまりにもつらくて、言葉にすることによって思い出すために
寡黙になる人の方が多いし、それでよいのだと
私は思っていました。
また、(被ばく&捕虜)証言の方々の勇気と行動力にも
頭が下がります。
21世紀は、人と人が殺しあうことは、やめてほしい。
共生し、互いに助け合いながら 幸福を 
と 心から願っています。
憎しみをのりこえ 二度と戦争のないように
LOVE & PEACE !





落ち込んでいた私を励ましてくれる友達、家族がいたお陰で、すっかり私も元気になりました。

ありがとう!!


 

2011/08/09

あっという間の3週間



今から、アメリカに戻ります。息子は、キャンプの間中、ほとんど眠らずにしゃべり続けた結果、声が出なくなり、昨日の午後から、今日の昼近くまで爆睡していました。

今回は、20年ぶりのお友達に2人も会えてうれしかったです。

私は、家族や友達に守ってもらって、支えられて、今まで生かされてきたのだなあ、つくづく感謝しました。


今回、親友に連れて行ってもらったオノヨーコさんのレクチャーで素晴らしいメッセージをいただきました。

1.どんなに小さなことでもいいから、自分のできる範囲で、平和のために何かアクションを起こそう。みんなが小石を投げれば、それが波となって、世の中を変えることができる。無理して、岩を担ごうなどと考えなくていい。

2.世界平和などという、大きなスケールで考えずに、自分のすぐ隣にいる人に対して親切にすること。自分の住むその場所で、人にナイスにすることが、世界平和につながっていく。

わたしも、自分の身の丈にあった親切を心がけたいと思いました。

行く先々、住む先々で、いつもみなさんが大変親切にしてくださるので、同じ量を同じ方にお返しすることはできません。でも自分のできる範囲で、自分の住む場所で、無理をせず、少しずつお返ししていきたいと思います。

サンディエゴのお友達のみなさん、もし私が意地悪だったら、「ブログのあの立派な決意はどーなったんだ?」と注意してやってください。

元気でよかった!


夕べは、19年ぶりに大学院時代の先輩に会いました。最後に彼女に会ったのは、彼女が東海岸のアメリカの半導体の会社からオファーをもらって、空港に見送りに行った時でした。

頭の良い人のことを「カミソリ」のように切れるという表現をしますが、彼女は、「出刃包丁」のように切れます。そして 「姐御」 という表現がぴったりの人です。

昨日も、開口一番 「うわ~ お互いケバい、アメリカ帰りのおばちゃんになっちゃって!!」というコメントで、出刃包丁ぶりは健在でした。

姐御の経歴は、聞いてびっくりです。日本の大学卒業後、大学生が就職したい企業ランキング1位の会社に就職し、とんとん拍子に出世し、アメリカ企業でキャリアを積み、その間、企業派遣、私費留学で、大学院、エグゼクティブコース、大学の夜学などでも学び続け、アメリカの弁理士のライセンスも持ち、現在は、日米両方で特許のビジネスコンサルタントとして活躍しています。

これだけ聞くと、すごくスムーズなキャリアなのですが、舞台裏は壮絶なバトルの連続でした。本当に辛かったはずです。(話を聞く私も、すごく苦しかったです。)

でも姐御は、どんなピンチの時でも、あきらめず、Aのドアが閉じられたら、Bのドアを探し、それがだめだったら、Cのドアを蹴破ってでも、次のチャンスを掴み取ろうと努力してきました。既成のドアがなくなったら、自分で木を買ってきて、ペンキを塗って、勝手に梅だの松だのといった新手のドアだって作る人です。

アメリカ企業で日本人が生き抜いていく大変さを、私は彼女を通して学びました。そして、若い時から、次の数十年を見据えて戦略を練り上げる重要性を教えられました。

彼女が一緒に仕事をしている、ニューヨークの特許弁護士たちの活躍ぶりの話を聞いて、私までキャリア戦略耳年増になったほどです。

姉御は、息子が生まれた時から、口を酸っぱくして、「キャリア戦略」を説いて聞かせてくれました。残念なことに、我が家では、そのありがたいアドバイスを生かせていません。(とほほ~)豚に真珠ってやつです。

道なき道を、自分でゲットしたカマと斧でたった一人で、切り拓く彼女を見て、私はいつも感動していました。

病気にも負けず、孤軍奮闘している姐御は、かっこよかったです。

今は、すっかり健康を取り戻し、日本を元気にする仕事で活躍していて、本当にうれしかったです。

姐御、いつまでも元気で、長生きして、みんなを助けてね。



2011/08/07

See you again !

広島銘菓 もみじ饅頭
今は、カスタード、チョコレート、クリームチーズ味などもあります。
私は、オリジナルのこしあんが一番好きです。



今日、私は広島を発ち、明日韓国から帰る息子を成田でピックアップして、成田のホテルで一泊してから、サンディエゴに帰ります。

成田に向かう前に、お友達と食事をする約束をしています。彼女の話を書くと、一冊の本が完成してしまうくらいなので、今度時間があるときに、シェアしますね。私が彼女につけたあだ名は、「キャリア戦略姐さん」です。私たちの子供たちにとって、とても参考になる情報満載の人です。

みなさんに良くしていただいて、とても楽しい広島での3週間でした。本当に、ありがとうございました。又、帰ってきます。それまで、どうぞ、お元気で!


がんばろう日本、がんばろう東北!!

秋田かんとう祭り

一昨日遅く、秋田から広島に戻ってきました。

実は、私はちょっとした珍しい病気を持っています。漢字で書いても、転換できなほどの難しい字 で、読み方は「しょうせきのうほうしょう」といいます。女優の奈美悦子さんと同じで、セレブ系の病です。(自慢)

感染するわけでもなく、美人薄命型の病でもなく(見ての通り)、治療して下さる先生が秋田県のアクセスしにくい町にしかいらっしゃらないのが、難点です。この病院に、世界中から患者が訪れます。

今は、症状は安定していますが、定期的に診察していただくようにしています。
この病気のお陰で、息子が小学生の頃から、年に一回は東北を旅行するチャンスに恵まれました。(転んでもタダでは起きないのが私の特徴です)

東北のお寺や農家などにホームステイさせていただいたので、私と息子にとっては東北が第2のふるさとのようです。

勤勉さ、人の温かさ、弱きもの、小さき者への惜しみない愛情を東北の方たちから学びました。

東北は、日本の美点を凝縮した所です。今の時代だからこそ、私たちは東北の方たちから多くを学べるはずです。

東北は、農業だけでなく、工業、観光、ハイテク、日本の産業も担っています。

だから、みんなで力を合わせて、復興に協力していきたいと思います。東北が元気になることで、日本全体も力をつけていけると思います。

がんばろう日本、がんばろう東北!!GO, GO 聖光学院!!!!

2011/08/06

広島 8.06






 鉄谷信男さんの 長男(ちょうなん伸一しんいちちゃん(当時3歳さい11か月)は、東白島町の自宅じたく前で、三輪車に乗って遊んでいるときに被爆ひばくしました。全身に火傷やけどを負い、「水、水……」とうめきながらその夜死亡しぼうしました。
翌日よくじつ自宅焼け跡やけあとで長女路子みちこちゃん(当時7歳)、次女洋子ちゃん(当時1歳)の遺骨いこつを見つけた信男さんは、伸一ちゃんの遺体を焼く気になれず、一緒いっしょに遊んでいて死んだ近所の女の子と手をつながせ、焼け焦こげた三輪車と共に庭に埋葬まいそうしました。
その後、被爆40年目に墓所ぼしょに移す決心をして堀ほり起こし、葬式そうしきをしました。

       (広島平和記念資料館の展示より)


今日は、広島の原爆記念日です。66年間、私たちは、もう二度とこのような悲劇を繰り返してはならないと願い続けてきました。

しかし、今年原発によって福島は第三の被爆地になりました。

敗戦直後から、広島に縁のある私たちは「核と人類は共存しない。」ともっと強くと訴え続けてくるべきでした。

そして、どうして広島と長崎には原爆を落とされたのか、侵略、加害の歴史をきちんと究明し、学び、次の世代に伝えるべきでした。

今年の原爆記念日は、私にとって新たなスタートとなりました。




2011/08/01

私のメンター (2)

ハマナス


彼女は私の親友であると同時に、有難いメンターでもあります。

何より彼女がすごいのは、一人一人をよく観察し、その人の良いところを見つけ、モーティベーションや才能を引き出してくれることです。

彼女は、私が仕事をしている時、主婦をしている時、いつも私に必要なアドバイスをくれていました。仕事とは程遠い生活をしている時も、「あなたは、いい仕事をする人だから、いつも心の準備をしていてね。」と叱咤激励してくれていました。

私がアメリカの通関士の国家試験にパスし、就職しようとした時も、「あなたらしくない仕事だわ。keikoちゃんの良さが発揮できないような気がする」と考え直すようにアドバイスしてくれました。


日本人でこのライセンスを持っている人がいないこと、サンディエゴ は国境の街なので、貿易、物流の仕事は絶えずあったので、着眼点としては間違っていませんでしたが、確かに私がしたい仕事ではありませんでした。「コンスタントに仕事がある、なおかつ女性にしては収入がいい。」ということに惹かれていただけでした。


数年間、数千ページにわたる貿易と関税に関する法令を隅から隅まで読んで勉強したことは、決して無駄ではありませんでした。難しい勉強ではあったけれど、後半は面白くて、すっかりはまってしまったくらいでした。でも、それを仕事として、起きている間の大半を、無味乾燥な文書に埋もれて私が過ごすのは、無理がありました。

親友は、私がたとえ通関士として働き始めても、仕事を楽しめないことを見抜いていました。

情熱を持ってライフワークとして取り組める仕事をするべきだということを、彼女から学びました。

「仕事をすることで、自分がハッピーになるだけではなく、みんなを元気づけることができる。ひいては、それが、世の中を明るくする」ことを、今は息子に対して教えてくれています。

というわけで、彼女は、我々親子にとってありがたいメンターなのです。

2011/07/31

私のメンター (1)






昨日、親友が私と息子をオノヨーコのライブに誘ってくれました。あまりに、すごい経験だったので、別の日に書きたいと思います。心臓がまだパクパクしています。

日本全国からオノヨーコファンが広島に集結しました。その群集の中で、私の親友は燦然と光を放っていました。各界からの知り合いに次々に取り囲まれ、彼女の人気の高さに驚きました。

彼女は、長年広告業界、マスコミ業界で活躍し、大変質の高い仕事で定評があるので、この不況の中でも、自分の信念を貫けるプロジェクトをつぎつぎにこなしています。

今の先行きの不透明な時代に、何とか日本人に希望を持ち続けてほしいというメッセージを仕事を通じて発信しています。

そして、次の世代を育てようという情熱にあふれています。

仕事をすることは、日々の糧を得るためだけではなく、社会貢献の場、自分の良心を具現化する場であることを彼女から学んでいます。


2011/07/30

息子の夢がかなう。

安芸の宮島



5月下旬から始まった夏休みも、あと2週間で終わります。

息子の今回の帰国でぜひ達成したかった目標の一つに、「大トロの握りをたらふく食べる」というのがありましたが、私は、「そんなこと、できるわけないじゃない。いったい何万円かかると思っているの。」と相手にしていませんでした。

ところが、昨日友人に連れて行ってもらった大衆的なおすし屋さんで、たまたま「マグロの解体ショー」をやっていて、(すし屋さんで解体ショーっていうのがすごい!)特別サービスで、「マグロをサクで買うと、お店の板前さんが握りに作ってくれる」という特典がありました。

息子は、すかさず、3000円の大トロ1サクと2000円の中トロ1サクをゲットし、なんと合計35貫のにぎりを作ってもらいました。

激安で、息子の夢だった「思う存分、トロを食べる」ことができました。

私も試食しましたが、とてもおいしかったです。

これで、夏休みのグランドフィナーレを飾ることができました。

めでたし、めでたし。

20年ぶりの再会

錦帯橋






数日前に、旧友に20数年ぶりに会って食事をしました。

メールのやり取りをしていたので、そこまで長く会っていないという実感はなかったのですが、思い返してみると、最後に一緒に食事をしたのがバブル絶頂期のセッティングだったので、間違いありません。その時どんな洋服を着ていたか?…なんてことは、怖くて考えたくありません。

話してみると、意外とシームレスで、まるで先月会った続きの話をしているようで、「感涙にむぜびながら、再会を喜ぶ」「抱き合って、互いの無事を確認しあう」「不義理を詫びる」的なことは全くありませんでした。

「このペースでいくと、次に会うのは、私たちがお婆さんになっているので、これからはもっと頻繁に会いましょう。」と近い将来の再会を約束しました。

彼女は若い頃から「とびっきりおいしい、上質なものを少しだけつまむ。」というグルメなライフスタイルでしたが、今も洗練された素敵な大人の女性です。

私はというと、「質より量」重視の夫と20年近く結婚して、「相撲部屋のちゃんこ」のような食生活なので、深く反省してしまいました。

私に会って、そのお友達は驚きのあまり、夜、眠れなかったんじゃないかなあ。





2011/07/29

兎追いし かの山





父は、12歳で全寮制の中学に入学するまで、山口県の山奥の村で育ちました。山に囲まれた、清流の美しい村です。下流には、錦帯橋という有名な橋が架かっています。

親戚一同60年以上村を離れているので、今はお墓とお寺に参るだけです。でも、アメリカで生まれ育った息子にとっても、懐かしい情景となっています。

童謡の「ふるさと」のイメージにぴったりの村です。



Youtube に庄野真代さんの素敵な歌がありました。

日本は、本当に美しい国だと思います。

2011/07/28

チビちゃんたち




島でご馳走になった海の幸
サンディエゴでは味わうことができないおいしさです。


今日は、従兄弟の家族と食事に行きました。

従兄弟には、小学一年生を頭に3人の男の子がいます。私は、たった一人の息子に悪戦苦闘、右往左往しているのに、従兄弟と奥さんは、本当に上手に子育てを楽しんで、子供たちものびやかで、幸せそうです。

息子は、チビちゃんたちを生まれ時から知っているので、会うたびに大きくなる成長振りをびっくりするやら、感心するやら、大喜びです。

一人っ子の息子にとって、小さい子供を愛おしいと感じたり、子供が大きくなるために、親がどれほど愛情をかけ、手をかけているかを見せてもらう、貴重な体験をさせてもらっています。

又、従兄弟が車命のエンジニアで、彼からスーパーカーの幼児教育を施してもらっていたので、息子もやはり車好きになりました。今日も従兄弟から色々車のテクノロジーについて教わっていました。息子にとって「クールなおじちゃん」と話せるのは、とてもエキサイティングなことのようです。

私は、奥さんと色々話ができて、すごく楽しかったです。今の若いお母さんたちは、本当に堅実で、学ぶことが多いのです。若い視点でのものの見方が、とても新鮮です。

アメリカのキンダーの子供が背負うバックパックをチビちゃんたちにプレゼントしました。下の2人には大きすぎ、まるで亀の甲羅のようでした。来年会う頃には、体にぴったりするといいのですが。






2011/07/27

お泊りキャンプ


大人気のそうめん流し

息子は、今日と明日教会のお泊りキャンプのボランティアをしています。

小学生から高校生までの子供たちが一緒に、聖書を学んだり、平和学習のフィールドトリップをします。

ハイライトはなんといっても、夕食のバーベキューとそうめん流しです。教会の方が竹を山から切り出して、そうめん台を作ってくださいました。

パイプいすで作る傾斜の具合は難しく、最初は「そうめんのナイアガラの滝」状態でしたが、微調整を重ね、ついに上流の人と下流の人が公平にそうめんをありつけるようになりました。

よかった、よかった。

2011/07/26

アメリカにも電車があればなあ。

まるで、ヨーロッパの街並みのような路面電車。
ドイツ製で、ルフトハンザカーゴで来日しました。



いきなり、自慢モード全開になってしまいますが、広島は、日本一の路面電車の町です。どこでも出かけることができます。しかも、交通渋滞に引っかからないので、見かけ以上に早く目的地に到着できます。

他の街では使われなくなった電車も引き継いでいるので、街自体が「路面電車博物館」となって、全国の「電ちゃん」(鉄道オタクは鉄ちゃん、電車オタクは電ちゃん)の集結地にもなっています。

国際化、グローバル化が叫ばれる数十年前の1970年から、広島ではドイツから輸入した電車を走らせていました。今は最新鋭「グリーンムーバーマックス」が走行しています。いかにもドイツらしい機能的なデザイン、バリアフリーを細部にまでこだわった構造、シートのファブリックも美しい素晴らしい電車です。(あ、しまった。私が電ちゃんであることをカミングアウトしてしまった。)

電車以外にも、JR,バスもひっきりなしに運行されているので、便利です。

サンディエゴにもこのような交通システムがあれば、私の生活はどれほど楽になるだろうと思います。でも、息子の場合には学校が遠方にあるので、新幹線通学になりますね。それはそれで、息子は大喜びだと思います。


2011/07/25

地味なお弁当

シイタケ、高野豆腐の煮もの、魚の照り焼き
あなご、松茸かまぼこ、たこ、こんにゃく
メインディッシュはどこだ?

パッケージも敬老系です。






この間、島に行く時、駅弁を食べました。私は幕の内(ヘルシーバージョン)、息子は「必勝、カープ弁当」です。

カープ弁当の写真を撮ろうと思った時には、息子は完食しており、弁当ガラしか残っていませんでした。中身は、名前の通り、トンカツ、ハンバーグ、エビフライのがっつりおかずが満載だったそうです。

ところで、わたしのお弁当は、薄味でとてもおいしかったです。味覚もシニアに一歩近づいたのかも。

2011/07/24

広島駅1番ホーム立ち食いうどんの謎

立ち食いうどんとは思えない立派なたたずまい。
大きさも通常の3倍はあります。
他のホームのうどん屋さんはただのアルミサッシドアです。




有名なので、お土産に持って帰る人もいます。


広島の都市伝説のひとつに「うどんは1番ホーム」というのがあります。

私がものごころついた頃から、常識になっていました。

全国区の週刊文春の記事になったほどでした。取材の結果、「広島駅構内の全てのうどん店は、経営、麺、汁、天ぷら、調理師の採用、全てが同じなので、1番ホームだけ特別おいしい理由はない。」とのことでした。

あまりに不思議なので、麺好きの父に「なんで、1番ホームだけおいしいってみんな言うだろうね。」と聞いてみました。すると、「そりゃ、うどんは1番ホームに決まっているじゃないか。」とあいまいな理由です。

確かに私が食べてみても、明らかに味の差があるのです。

新幹線口の地下の立ち食いうどんは、つぶれてしまいました。そして、1番線だけは商売繁盛が続き、今では、3倍の大きさ、白壁、瓦屋根まで使った、豪華絢爛なうどん店にまで出世しました。

今回も家族で食べましたが、唸ってしまうおいしさでした。










2011/07/23

天職

   
瀬戸の多島美






島から本土へ戻ってきました。

兄は、島の病院で生き生きと働いていました。内科と外科、両方カバーできるので、重宝がられているようです。

この季節、島特有のケースとして、 「カサゴ(毒性の強い魚)に刺された漁師さん」「みかん畑で作業中、熱中症で倒れたお百姓さん」が運ばれてくることが多いそうです。

島の人たちの健康を語る兄は、本当にうれしそうです。

高校時代からずっと地域医療に携わるのが夢でしたが、40年近くたって、ようやくたどりつきました。

奥さんのキャリア、子供たちの受験、進学と、優先順位が高いものが色々あったので、時間がかかりましたが、50歳過ぎて、天職につくことができました。