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2011/08/23

これからも、平和セミナーを続けたい

開会の45分も前に到着してくださったテニー博士ご夫妻
本当に素敵なカップルです。



私が補習校高等部のお母さんたちと勉強会「ぽーと会」を始めたのは、子供の「大学受験」「キャリア」に悩んでいたので、みんなで知恵を出し合おうというのがきっかけでした。


しかし、みんなで学び続ける中で、いくら子供たちが頑張って良い大学に入って、素晴らしいキャリアパスに乗ったとしても、景気の悪化、戦争が深みにはまると、徴兵されるなど、子供自身の努力では、乗り切れない要素がたくさんあることに気付きました。

又,子供たちが日本人のアイデンティティーを持つ以上、過去の負債も負っていかなければなりません。今でも、12月になると「パールハーバーはひどい。ジャップはとんでもないやつだ。」とクラスで毎年、いやな思いをさせられる子供も多いです。

アジア人のクラスメートの中には、おじいさん、おばあさんたちの世代で旧日本軍にひどい目に会わされたことを、心のどこかでこだわっている子供もいるかもしれません。

わだかまりがある中で、友情や信頼関係が築けるわけはありません。日本人の子供たちが、過去は水に流して、自分は頑張って世界の架け橋になるんだ、息巻いても、日本の加害の過去を知らずに、他の国の人が心を開いてくれるわけはありません。

日本人は、水に流すのが得意ですが、水に流すことができるのは、被害者だけであることを私たちは忘れがちです。友情を築くために、過去を水に流してもらうには、まず真実を知ることが、第一歩になります。

私は、そのプロセスを飛ばしたために、海外の人から引きかれた苦い経験が何度もあります。

若い頃は、自分が広島出身なので、海外に出るとついつい、「ノーモアヒロシマ」「広島の苦しみをみんなに知ってもらわなければ。」と力が入っていました。

しかし、他の国の人に、「原爆は、雷のように、突然降ってきたわけじゃないでしょ。なんで、広島に原爆を落とされたか考えてごらん。広島は軍都として栄え、多数の兵士を広島港からアジアに送り出し、多くのアジアの人たちを苦しめたでしょ。」と言われては、返す言葉もありません。

日本の加害者としての歴史、日本からひどい扱いを受けた多くの国々の人たちの苦しみ(アジア、アメリカだけでなく、オーストラリア、ヨーロッパにまで被害者はいらっしゃる)を知り、辛い気持ちに寄り添わなければ、友情など築けないことを学びました。自分の訴えたかった「原爆の悲惨さ」、「平和の尊さ」を訴えるのは、両者の気持ちが触れ合ってからでなければ、ならないと感じました。

私が子供たちに、正しい歴史を知って欲しいと考えるのは、子供たち一人一人が、世界の人たちと将来仕事を通して、固い友情で繋がって欲しいからです。

私たちの子供たちには、色々な方角から歴史を学び、チャンスがあれば当事者からもお話を伺うことができればいいなあと願っています。

違ったバッグラウンドの子供が、共通の歴史の知識を持つことではじめて、今後、自分たちが住む世界をもっと住みよいところに変えていけると思います。

「世界の平和、友情」「大学進学」「キャリア戦略」 ぽーと会は、この三本柱で、親と子供たちで学び続けていきたいと考えています。

これからも、どうぞよろしくおねがいします。


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