鉄谷信男さんの 長男 (伸一 ちゃん(当時3歳 11か月)は、東白島町の自宅 前で、三輪車に乗って遊んでいるときに被爆 しました。全身に火傷 を負い、「水、水……」とうめきながらその夜死亡 しました。
翌日 自宅焼け跡 で長女路子 ちゃん(当時7歳)、次女洋子ちゃん(当時1歳)の遺骨 を見つけた信男さんは、伸一ちゃんの遺体 を焼く気になれず、一緒 に遊んでいて死んだ近所の女の子と手をつながせ、焼け焦 げた三輪車と共に庭に埋葬 しました。
その後、被爆40年目に墓所 に移す決心をして堀 り起こし、葬式 をしました。
その後、被爆40年目に
(広島平和記念資料館の展示より)
今日は、広島の原爆記念日です。66年間、私たちは、もう二度とこのような悲劇を繰り返してはならないと願い続けてきました。
しかし、今年原発によって福島は第三の被爆地になりました。
敗戦直後から、広島に縁のある私たちは「核と人類は共存しない。」ともっと強くと訴え続けてくるべきでした。
そして、どうして広島と長崎には原爆を落とされたのか、侵略、加害の歴史をきちんと究明し、学び、次の世代に伝えるべきでした。
今年の原爆記念日は、私にとって新たなスタートとなりました。
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